2012年05月13日

働くママにとっての現実は、、、

今週、展示会が終わったので、年末から続いた多忙の日々が来週からようやく一段落つきそうだ。
2歳の息子がいる、しかも時短だというのに今週は二回も終電に間に合わずタクシーで帰った。先月の労働時間は180時間以上、今月は確実に200時間を超える。

、、もう一度いっておくが、私は今時短勤務だ。
でも結局はこれが現実。会社の業績が悪ければ、自分ができる範囲はやらなくてはいけない。本当は、会社が代わりの人材を用意すべきだが、所詮、中小企業。慢性的に人手不足なので、そう簡単には見つからない。また社員を増やすとその分、もっと利益をあげなければ採算がとれない。

国がいっくら、躍起になって育児のためのルールや就業制限を作っても、結局、采配は各企業に任されている。そして企業は、利益をあげなければ存続できない。そうなると、結局、ちっちゃな子供がいようとも、自分の仕事は自分でこなさなければいけなくなっちゃうんだよね、、。
うちは、幸い、たった一人の孫のために、祖父母は連絡すれば、片道2時間の距離をものともせず来てくれるし、旦那がフリーランスで、ある程度、時間に融通が効くからラッキーだ。
近くに親戚もなく、旦那さんが深夜残業の多い仕事だと、働くお母さんは本当に大変だと思う。(だったら働かなきゃいいのに、、という声も聞こえてきそうだが、それでも働かなければいけない事情は人それぞれなので、ここでそんなことを言うのは愚問だと思ってほしい、、。)

しかも、例え結婚してても実際、子供をもってみなければ、どのくらい大変かは実感できないものだ。一言でも「子供がいて大変だ」なんて言おうものなら、独身社員や既婚で子供のいない社員から「大変なのは、みんな同じ。こっちは毎日終電まで働いてるんだから」なんて言葉が返ってくる。特に意外と女性のほうが、きつかったりする。(心の中で、特に既婚者には「その言葉、一生忘れないからな!!次はお前の番だ!子供ができてから助けを求めても、絶対助けてやるもんか!!」と意地の悪いことを考えてリベンジしてやろうという私がいる。)
また、子供をもっていても、配偶者のどちらかが十分に子供の面倒をみる時間があったり、近所に子供をあずけられる親戚がいると、案外、核家族で共働きの苦労はわからないものだ。

今回の私の場合、特に3月からの3ヶ月間、自分のプロジェクトをきちんと完結させないと自分だけではなく他の社員に迷惑がかかるし、会社の収益にも関わると思って、夜残業できない代わりに、早朝出勤(パパが保育園に送っていけるので)したり、息子を土曜保育にあずけて土曜日に仕事したりして、なんとか仕事をまわした。
ちなみにGWは旦那に息子をつれて、私の実家に帰ってもらい、私は仕事を続けた。GWで休んだのは30日と6日だけだ。一週間に一日は休まないと、人事から私の上司にクレームがくるので、、。でも、その割には、容赦なく仕事はとんでくる。

捨てる神あれば拾う神ありで、、皆多忙な中、自分がなんとかして色々仕事のやり繰りをしているのを見て、気の毒に思い、最後には手伝ってくる人がチラホラ出始めた。展示会の最終日、なんの関係もない他の部署の社員が展示会にきたついでに片付けを手伝ってくれたときには、思わず目頭が熱くなってしまった、、。

本当は、まだ息子が2歳だというのに(しかも結構環境には敏感で今週一週間は、両親ともに多忙だったので、寂しくてかなりしょげかえっていた。)こんなに仕事はしたくないけど、最低限やらなければ会社や、自分の家族が将来、窮地に陥るかもしれない現実がある。

これから少なくとも9月くらいまでは、月150時間以上の勤務にはならないだろう。家族と一緒にいる時間ももう少し増えると思う。
子供がいて働くって本当に大変だ。でも「大変だ、大変だ」と言っても現実は変わらない。だから、少しでも楽になるように、色々方法を考えて、実行していかなければ、、と思う。
posted by ゆっきょ at 01:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 働くお母さんの日常

2012年04月22日

杉並区でも指折りの桜の名所、善福寺川緑地公園でのお花見三昧

IMG_0451.jpgもう二週間前になってしまったが、週末に桜の満開が重なり、都内の桜の名所では花見客で大にぎわいだったようだ。
震災以後、原発事故の影響で遠のいていた外国人観光客がこの時期震災以前の数字に戻ったというのだから、桜の威力たるや、すごいものだ。

桜が満開だった週末は、うちの自宅裏もすごい人出だった。うちの自宅は都内でも屈指の桜の名所、善福寺川緑地公園から徒歩1分なので、お花見するには何かと便利だ!

マイロ君の保育園のクラスでは、今年も2人、0歳から一緒だったお友達が転園し、最後の一年だし、うちが主催で花見を催すことにした。

うちの旦那が7日、早朝から大きなビニールシートをもって席とりに行ったが、すでに桜の大木の下は陣取られてしまっていた、、。

、、まあ、桜の下じゃなくても、桜は見えるし、子供達が走り回って花見どころじゃないかもしれないので、桜がよく見える広々したところにシートをひいた。

一番最初に、4月から葛飾区に引っ越してしまった小春ちゃん(通称:こはちゃん)一家がやってきた。4月から知ってる子が一人もいない葛飾区の保育園に転園したこはちゃんは、最初の一週間、泣き通しでやはり慣れない保育園に行くのが苦痛なようだった、、。
うちに来て、マイロの顔をみたときのこはちゃんの顔がとても印象的だった。ぱっと顔が明るくなり、二人でうちの前の道を何度も走り回っていた。
あとで、お母さんに聞いたところ、「もともと環境の変化には敏感な子だし、ある日「こはちゃん、お友達のいる保育園に行きたいよ、、」と言われたときは引っ越しは仕方のないこととは言え、かなり申し訳ない気持ちになったそうだ、、。

そうこうしているうちに、マイロの保育園の友達一家が続々と我が家に集結してきたので、一同、荷物を持って自宅裏の善福寺川緑地公園へ向かう。
自然がいっぱいの広々とした公園に出て、子供達はもはやお花見どころではないようで、あちらこちらに散らばって、思い思いに春の一日を楽しんでいた。

子供を持って、ましてや近所に近親がいない状態で働くのはもちろん大変だ。だけど、最大のメリットは「子供」という媒体を通して今まで交流するのが難しかった人とも「親」という接点を通して、交流できることではないだろうか?
会社でも、子育てしながら働く大変さは子持ち社員なら皆、共感できるところで、お互い労りあえるので、チームワークも良くなる。

保育園のメンバーが集まった土曜日は、生憎ちょっと冷え込んでお花見には不向きだったが、子供達はもちろん、親達も色々話ができてかなりリラックスできたようだ。

、、、そして、次の日。この日は前日よりも気温が上がり、絶好のお花見日和だった!
前日に増して、たくさんの人達が善福寺川緑地公園に押し寄せた。うちはこの日もお花見だった。この日は隣の加藤さんちと一緒にお花見をした。マイロが小学生の加藤姉妹とまるで姉弟のように仲がいいのももちろんだが、加藤夫妻とはなんと言っても、音楽の趣味や価値観や距離感が合う。これも何かの縁かも知れないが、たまたま近所に引っ越して来て、こういう気の合う隣人ができてすごくラッキーだと思う。

杉並区内に自宅を購入するなら、「ここしかないでしょ!!」とずっと中古物件を探していた善福寺川緑地公園周辺だが、、本当にここに引っ越してきて良かったと思う。桜の季節はもちろん、ここには都内では珍しく四季折々の自然が十分に味わえる。

これからずっと長い間、ここでお花見ができると思うと、きっと桜の季節が待ち遠しいだろう。



善福寺川緑地公園周辺の善福寺川沿いの桜善福寺川緑地公園周辺の善福寺川沿いの桜


善福寺川緑地公園周辺の善福寺川沿いの桜


善福寺川緑地公園周辺の善福寺川沿いの桜


善福寺川緑地公園、せきれい橋近くの花見風景善福寺川緑地公園、せきれい橋近くの花見風景


マイロ君と保育園のお友達保育園のお友達の一人がもっていたポップコーンに目が眩み、もうお花見どころではない子供達


マイロ君と保育園のお友達マイロ君の悪友(?!)こうちゃん


マイロ君とその仲間達マイロ君とその仲間達


善福寺川緑地公園での花見翌日、今度は近所の加藤一家と花見
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2012年03月18日

2歳児クラスまでの認可保育園のデメリット

うちのマイロ君は2歳児までの認可保育園に通っている。2歳児までと言っても、3月に卒園するときには全員3歳になって卒園するのだが、当然、そのあとに就学するまであずかってもらえる保育園を再び探して転園しなければならない。

はじめから就学前まで預かってもらえる認可保育園に入園すると“途中で再び保育園を探す”という面倒なことはしなくてよいわけだが、私達夫婦は、生後4ヶ月のマイロ君を、0歳の4月に認可保育園に入園させるとき、下記のような理由で今の保育園を選んだ。

まず、物理的に通勤途中に生後9週以上の乳児を受け入れてくれる保育園が現在通っている保育園と、就学前まで預かってくれるもう一カ所の保育園、R保育園の二カ所しかなかった。
なので、当然その二つのどちらかを第一希望にするしかなかったのだが、何故“3歳になったら転園先を探す”という覚悟で今の保育園を選んだかと言うと

●今の保育園のほうが園児の人数が圧倒的に少なくアットホームな感じがした。
●R保育園は大きな道路のすぐ隣に位置していたので、環境が良くないと旦那が反対
●今の保育園のほうが建物がかなり新しく清潔な感じがした
●展示してある食事のサンプルをみると今の保育園のほうが良さそうに感じた

、、まあ、こんなところだ。親子共々、はじめての保育園生活だったし、一生懸命、自分なりに考えたようでも、イマイチ現実的な選択の仕方だったかどうはわからない。

だが実際に入園してみて、全く後悔はしていない。昨年、方南町から南阿佐ヶ谷周辺に引っ越したので、近所の保育園もかなり見て今年4月に転園届けを提出するかどうかも考えたが、結局卒園するまで、あと1年、今の保育園に通わせることにした。

やっぱり他のどこと比べても今の保育園のほうが格段にいいと思ったからだ。私立ということもあるかも知れないが、まず、物理的に園児が少ないので、一人一人によく目が届く。一般的なしつけはもちろん、お着替えの練習や、脱ぎ履きが楽にできる靴の選び方、トイレトレーニングのタイミング、その他色々、私達夫婦もマイロ君も今の保育園に通わせることで得たものがすごく多いし、(結構、先生達もプロフェッショナルだと感心すること、しばしば、、)月に一回外部から講師の方が来て、健康体操をしたり、食育にも力を入れているようで、0歳児クラスのときから、目の前でオムレツやおしるこを作ってみせて、それを食べたり、2歳児クラスになるとクッキング実習もあるらしい。
遊び方も、発育にあわせてすごく工夫されているなーーと思うし、何しろ本の読み聞かせがすごく多いようで、同じ保育園の子達はほとんど大の本好きだ。
また全園児合わせても30人程度なので、日常的に全クラスの子供達と交流があり、親達も容易に顔見知りになれる。
場所も住宅街の中なので、わりと静かで子供達ものんびりできるようだ。
昨年の震災後、放射能が心配だという父兄の声にも素早く反応し、特別な浄水器に切り替え、食事はすべてその水を利用していることや、食材の産地も公開を始めたり、その他クレームに対する対応も素早いようだ。

今の保育園が就学前まで保育してくれるなら、あるいはこの辺りで一番人気になったかも知れない。、、がやっぱり、様々な事情で“一刻も早く5年間通わせられる保育園に転園させたい”と思う父兄の方々も多いようだ。
今の保育園、これまで“卒園後に次の認可保育園に行けなかった子はいない”とはいえ、今後もそうである保証はないからだ。一度、認可保育園に入園しているので、“卒園ポイント”で加点されるとはいえ、世の中不景気なので、もはや誰も“確実に次も希望の認可保育園に入れますよ”とは言えないようだ。
特にすでに兄弟姉妹が他の保育園に通っている子達のお父さん、お母さんは物理的に別々の保育園の送り迎えをするのが
大変で“ずっと転園届けを出している”なんて家もあるらしい。

あと、子供にとって多少苦痛をともなうことは、卒園して次の保育園にいったとき、なかなかなじめない子もいるようだ。特に小人数のアットホームな保育園から突然大人数のマンモス保育園に転園すると、ちょっと怖じ気づいてしまう子もいるようだ。

まだ3歳とはいえ、もうそれなりにずっと一緒だったお友達や先生に愛着はあるわけだし、3月31日まで通い慣れた保育園に通っていたのに、突然4月1日から今まで見たこともないお友達や先生のいる入ったこともない建物に突然連れて行かれ、置き去りにされるわけなので、その恐怖たるや想像を絶するだろう、、。しかも、他のお友達のほとんどは0歳、または1歳からずっと仲間なのに自分1人だけ外から不意にその輪の中に入れられるのだ、、。

、、そう考えると「じゃあ、一刻も早く転園させたほうが苦しみが少ないじゃないか?」という意見があるのも良くわかる。

マイロ君のクラスは0歳児のとき、8人でスタートした。1歳クラスに上がったとき、「兄姉と同じ保育園に通わせたい」と2人のお友達が転園し、また増員枠が2名あったので、4人の新入生が入って来た。
そして、今回2歳児になる4月からは、やっぱり0歳児クラスからずっと一緒だった2人が転園してしまうことになった。1人は区外への転園、もう1人は弟さんが内定した保育園に転園できることになったそうだ。
もちろん、その代わりに新しいお友達が3人入ってくるので、それはそれでよいのだが、0歳の4月に一緒に入ったオリジナルメンバーの半分も代わってしまうのは、ちょっと稀なことなので、なんだか寂しい、、。私も最初から苦楽を共にしてきたお母さん達ともうあまり会えなくなってしまうのも寂しい、、。

金曜日の夕方、保育園からの帰り道、「こはちゃんとたっちゃんは4月から他の保育園に行っちゃうんだよ」とマイロ君に教えると「なんで?マイロ、寂しい、、」と言っていた。
なんだかんだ言っても、うちに帰って来て保育園のお話をしてくれるとき、よく名前がでるお友達は圧倒的に0歳のときから一緒だった子達なので、幼いながらも一種、絆みたいなものがあるのかも知れない。、、なんてったて、人生で一番最初の兄弟姉妹みたいに日々を過ごした友達なんだから。

来年はマイロ君も卒園で、否が応でも他の保育園に移らなければいけない、、。方南地区に住んでいれば、おそらく同じクラスのお友達1人か2人とは、次も確実に一緒の保育園に行けただろう。でも、うちは今、南阿佐ヶ谷周辺に引っ越してしまったので、次の保育園は確実にこの近くのどこかだ。(なんてったて、今は送迎に結構時間がかかるし、、)

「1人でポツンと突然知らない保育園に入れられるよりは、全員全く知らない同志で3歳から一斉スタートする子供園とかのほうがいいのかな、、いや、まて、そうすると毎日お弁当つくんなきゃいけないし、だいたい6時半までしかあずかってくれなかったら、仕事が続けられないなあ、、」とか、ついつい今から1年後のことを考えてしまう今日この頃だ、、。


posted by ゆっきょ at 02:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 保育園関連のはなし

2012年03月10日

元祖バイリンギャルと言われた故・山口美江さんが「国際性」について書いたこと

もう昨日になってしまったが、「元祖バイリンギャル」と言われた山口美江さんの訃報の記事を見た。
彼女の象徴的なCMで「柴漬け食べたい、、」と毎日のようにテレビで聞いていたのは、私が学生の頃だったと思う。
当時はまだ、英語があんなに流暢にしゃべる人は珍しく、多くの同じ年代のキャリアウーマン(、、というのも、結婚して子供がいても働くのがさほど珍しくなくなった今ではもはや死語に近いけど、、)を目指す女性にとって憧れの存在だったのではないか?

訃報の記事をみている時に、たまたま、彼女に関する参考記事の中に、過去に彼女自身が書いた素敵なコラムを見つけた。

1991年3月7日、今から約11年前の毎日新聞朝刊に掲載された「若い日の私」というコラムだった。

以下、記事のリンク
http://mainichi.jp/feature/sanko/archive/news/2012/20120309org00m040006000c.html?toprank=onehour

約50か国以上の子供が通う「人種のるつぼ」であるインターナショナル・スクールで12年間過ごした彼女にとって最も欠落していたのは、“日本人としての認識と常識”だったという。「国際性」とは、さまざまな国の文化や思想を理解することであるとかたくなに信じていた半面、自分自身の国に関しては、全く無頓着だったこと。

次第に彼女自身が欧米人と同じ生活をおくり、同じものを嗜(たしな)むことを良しとし、自分の国である日本を抑えてしまうことが、真の「国際人」であるという錯覚に陥ったこと。

日本語は外国語として学び、日本史は世界史のほんの一部分としてのみ学習し、「欧米流」を追求し、あえて日本について学ぶことを否定することが「国際化」に結びつくと思っていたこと。

その後、歌舞伎を見に行って、歌舞伎の虜になり、歌舞伎がきっかけで、自分の国を見つめ直し、その素晴らしさを発掘出来、「国際性」とは他国に迎合するのではなく、自分の国の神髄を理解することが原点であることも学びました、、と結んであった。

とても共感したし、興味深い内容だった。

山口美江さんとは比べ物にならないほど、国際人でもなければキャリアウーマンでもないけれど、私も(「国際性」なんて立派なことは言えないけど)他の国を理解するには、自分の国を理解するのが原点なんじゃないかと思う。

個人的にお会いしたことはないけれど、ご冥福をお祈りします。

posted by ゆっきょ at 02:49| Comment(0) | TrackBack(0) | その他

2012年03月04日

英国人の旦那が、日本の葬式に出席して骨を拾う体験を経て知ったもの

先週、母方の伯父が亡くなった。
70歳だったので、今の時代だとちょっと早い気もするが、代々続く大農家で立派に大黒柱としての役割を果たし、二人の子供達(私の従妹弟)を育て、6人の孫に囲まれ、あまり苦しまず(脳梗塞だったので)逝けたというのはとても幸せな人生だったのではないかと思う。
働き者で、竹を割ったようなはっきりした性格、冗談好き、年をとってもガキ大将みたいななかなか魅力的な人だったので、太く短い人生を象徴するような突然の死に「これも何かの冗談か?」と思ってしまったほどだ。
私の親戚の中では、うちの旦那と一番気があったので、旦那も残念がっていた。

私はもちろん、旦那もマイロ君もお通夜、お葬式と出席し、火葬場で骨も拾った。

私にとって「亡くなった人の骨を拾う」とは数ある一連の喪の仕事の中でも一番重要なことだ。
おそらく小さいときから、祖父に「死んだとき骨を拾ってくれる人がいるってことは、とても幸せなことだ。私が死んだら、葬式なんかしなくていいから、とにかく火葬場で骨だけは拾ってほしい。」と言われ続けてきたせいで、いつしか「これは何か亡くなった人の魂を子々孫々につなげるような神聖な役割があるんじゃないか」と思うようになったからだ。
四十路の今まで、7人の祖父母(うちの父は養子なので本当の祖父母4人、養祖父母2人、曾祖母1人)、伯母1人、伯父1人の骨を拾った。
「死んだら骨を拾ってほしい」という養祖父との約束もきちんと果たせた。
これだけ近親の葬儀に出席していると、もはやかなりの葬式プロフェッショナルだ!
しかも、出身が田舎なだけに結構葬式も形式ばっていて、やたら長い、、。(実家の養祖父母のときなんて、仮通夜、本通夜、仮葬、本葬とほぼ一週間、喪の儀式三昧だった。)

さて、うちの旦那がはじめて日本の葬儀にフル出席したのは、私の養祖父の時だった。
考えてみれば、日本に滞在する外国人の数多しとは言え、完全日本式の葬式にフル出席したという経験の持ち主はそうそういないと思う。

うちの旦那の場合、ポーランド人である父親に子供の頃、カソリック教会に通うように強制されていたそうだが、いまでは心情的には「仏教が思想的に一番近い」と言っているくらいなので、宗教的には日本の葬式に出席することに何の葛藤もなかったそうだ。
日本語がかなり堪能な裏には、彼なりに日本人そのものや、日本の習慣や文化に対してもかなりの理解があったと思う。

、、しかし、さすがに火葬場でこんがり焼き上がった養祖父の骨が上から下まで原型をとどめたままで、運ばれ来たときには、思わず後ずさりしていた。
あまりのショックにその場に居られず2-3分、部屋の外にでて落ち着いてからまた入室したくらいだ。(火葬って完全に遺灰にすると思っていたらしい。)

ただ、後日、すごく興味深い体験だったと言っていた。

今回の伯父の葬儀は彼にとっては二度目の日本式の葬式だったわけだが、もうすっかり慣れたものである。お焼香や葬儀場での挨拶の仕方も完全マスターし、火葬場でも上手に箸を使って集骨し、日本人の参列者一同から「日本人よりもよほど日本人らしい」とお褒めをいただいていた。

旦那が言うには、「日本のお葬式は、なんていうか、人類全体の祖先から子孫への脈々とした流れみたいなものを感じる。特に、骨を拾うって、逝ってしまった人からのバトンを遺った人達が受け取る感じがするよね。あと、火葬のあと、箸でつかむ骨の軽さを思うと、仏教でいう“無常”がとても理解できるよ。人間って皆、灰になって土に帰るんだと思うと、くだらない物欲もなくなる」、、そうだ。
あと、“なぜ、日本人が箸と箸でものを掴むのが縁起が悪いと思うかが、実体験してとてもよくわかった”そうだ。

葬式に限らず、うちの旦那はかなりリベラルなので、“郷に入りては、郷に従え”がわりと抵抗なくできるタイプだと思う。でも、国際結婚したすべてのパートナーが相手の国の習慣やしきたりを受け入れられるわけではないだろう。
今回も、「そう言えば、旦那の在日外国人の友達で日本の葬式にでたって話を聞かないなー」と思った。
純粋に他の家ではどうしてるんだろう??と思った。

以前、イギリスに語学留学していたとき、ホストマザーに「日本では、お通夜のときには24時間線香を絶やさず、死者を一人にしないように、近親が交替で側に居るんだよ。」と言ったら、「わーー私はいくら凄く愛してる人でもそんなに長時間、怖くて死者と一緒に居られない」と言っていたけど、普通はそんな反応なのかも知れない。

葬式に限らず、国際結婚となると、色々な習慣の違いは日常茶飯事である。結婚とは生活なので、年を追うごとに、文化の違いを超えて、家族のために協力し合わなければならないことがでてくる。
葬式ひとつとっても、うちは理解のある旦那で良かったなーーと思う。(まあ、そうじゃなければ、最初から結婚しなかったと言えるかも、、)
旦那に言わせれば、ちょっと表現はヘンだけど遺族、友人が“骨を拾う”という行為に、死者に対しての愛情といたわりを感じるという。
文化の違いを超えて、同じ部分(しかも結構デリケートな部分)で共感できたので、なんだかとてもうれしかった。
posted by ゆっきょ at 01:16| Comment(2) | TrackBack(0) | 国際結婚の日常

2012年02月18日

ウィルス性胃腸炎で一家共倒れ、しかもとどめの肺炎罹患!

年末年始、新ソフトウェアのリリースがあり、相当多忙だったのでとにかくプレスリリースが終わって一段落するまでがむしゃらに働いた。ふらふら
連日、帰りは21〜22時くらいになってしまい、、さすがに旦那ひとりで毎日保育園の送迎、マイロ君の面倒をみつつ、夕食の支度、後片付けをするのは大変だ。
なので、ついに実家の父まで手伝に来させる羽目に、、。あせあせ(飛び散る汗)(実はうちの両親も共働きだったので、うちの父は母以上に気が利くし、なんでもできる。何もお願いしないのに、家の掃除や風呂場の掃除までしてくれた、、たらーっ(汗)
母が生憎民生員の仕事が忙しかったので、ヒマだった父が手伝ってくれることになったのだ!!

そんなわけで、年明けから1月20日くらいまではとにかく仕事をしまくったもうやだ〜(悲しい顔)

19日が仕事の山場だったのだが、どうもその2〜3日前から体調が良くなかった。どうも夕方になると微熱があるような気がし、かつ家に着く頃には猛烈に身体がダルいのだ。それこそ、ハシと茶碗も持てないくらいに、、。
プレスリリース発行が終わった翌日、ついに38度の発熱。その前日に、会社で「微熱続きで突然発熱したので、医者にいったらインフルエンザと言われた!」と一週間出勤禁止になってしまった同僚のメールをみて、「まっまずい!症状がそっくりじゃないか!!インフルエンザの予防接種うけたのに、もしかして私もインフルエンザ??」と恐ろしくなり、とにかく受診。
結局、検査でインフルエンザの反応は出なかった。

翌日、熱も平熱に下がったので「な〜んだ、ただの風邪か、、良かった」と思い、またまた仕事を続けたのだが、、どうも体調が良くない。やっぱり夕方になると微熱がでて、すごく身体がダルいのだ。バッド(下向き矢印)

1月28日は旦那の誕生日で、両親や私の弟夫婦もよんで、レストランで食事の予定をたてていた。
私は、体調が悪いにも関わらず、前日、4年間一緒に働いた同僚の送別会があったので、旦那が「いいよ、行ってくれば」と快く言ってくれたことをいいことに、夜中ベロンベロンに酔っぱらって帰宅した。
帰宅したとき、ちょうど旦那が夜泣きしているマイロ君を抱っこして、私達のベッドに座っていた、、が、その直後、マイロ君、コンコンという咳とともに、突然吐いたがく〜(落胆した顔)exclamation×2
もう、マイロ君はもちろん、旦那のパジャマも私達のベッドのシーツもドロドロであるがく〜(落胆した顔)

去年、やっぱりマイロ君経由でもらってしまったウィルス性胃腸炎に苦しんだ旦那はもちろん、2人の病人の面倒をみてホトホト疲れた私も「げげげっ!またか!!」と思い、去年と同じ徹は踏まぬよう、とにかくビニールで即座に吐いた物を包んで隔離し、消毒液で周りを拭いた。
マイロ君は3回嘔吐し、私達はほとんど一睡もできない状態で朝を迎えてしまった。
もう、旦那の誕生日どころではなくなってしまい、レストランの予約はキャンセル、私は急いでマイロ君を小児科に連れて行った。熱も朝38度あったので、インフルエンザの検査もしてもらった。
インフルエンザの反応(実際には発熱してから12時間以上経たないとインフルエンザ反応はでないので、この時点では「かかっていない」と断言はできない)がでなかったので、「ウィルス性胃腸炎だな〜」ということになり、家で安静にしているように言い渡される。昨年と違って下痢がなかったことと、ウンチも白くならなかったので、多分ロタウィルスでないと思った。
、、が、とにかく、ウィルスが胃腸にはいっちゃった風邪だなと理解した。

その日、一日中マイロ君はひたすら寝ていた!そして、翌日には完全復活!?熱も36度台に下がり、食欲も戻って、機嫌も良かった。
結局、週末に病気になったので、パパの誕生パーティーはつぶれちゃったけど、保育園は1日も休まず、すごく親孝行な子だったわけだ揺れるハート

しかし、明けて1月30日月曜日の夜中、、私は猛烈な吐き気で飛び起き、トイレに向かった!結局、嘔吐したのはその1回だけだったけど、次の朝、ベッドから起き上がれないほどの関節痛になり、熱が再び38度に上がったexclamation×2がく〜(落胆した顔)
しかも、午後には咳が出始め、なんだか右胸のあたりが痛い、、「去年もなっちゃった気管支炎かな??」と頭をよぎったが、とにかくその日は医者にいけるような状態ではなかったので、会社を休んで1日寝ていた。
食欲もなく、それからほぼ丸2日、ウィダーインゼリーしか飲めない状態だった。

旦那は元気だったので、マイロ君の世話はもちろん、時間をみて私の看護もしてくれていた。

1/31日にちょっと良くなったので、夕方かかりつけのクリニックで診てもらうことにした。その時点で37度前半の微熱が続いていて、しかも私が「咳がすごくでて、右胸が痛い」というので、レントゲンをとることになった。血液検査もした。(後日、血液検査はちょっと炎症反応があったが、全くの正常値と判明)

レントゲンの結果はすぐわかった。なんと、、「肺炎」だったがく〜(落胆した顔)思えば、あの夕方になると微熱がでる、やたら身体がダルいというのも、肺炎の前兆だったに違いない、、。

入院するほど悪くないので、少なくとも一週間は仕事を休んで自宅で安静にしているように言い渡される。(その後、結局4日も会社を病欠してしまう、、。)

待合室に戻って、がっくりと肩を落としていると、旦那から電話が、、。
「ごめん、僕、さっき吐いちゃった。多分、マイロの胃腸炎が移った。苦しくて起き上がれないので、今日は保育園に迎えに行けないバッド(下向き矢印)

、、もっとも恐れていた展開に。
その日は、肺炎とは言え、ちょっと熱が下がって(と言っても夕方には37.8度に再び上昇)、歩くことができる私が迎えに行くことに。バッド(下向き矢印)

気管支炎が悪化した肺炎で、マイコプラズマとかじゃなかったので、とりあえず、保育園に入れてもられ、もうフラフラになりながら、マイロを家に連れて帰った。

旦那は胃腸炎のピークで、相当具合が悪かったので、これまたフラフラになりながら、夕食を作る。旦那も私も食欲ないので、結局、作ったのはマイロ君用の冷凍ピザを電子レンジでチンしただけだが、、台所にしばらく立って作業するだけでもヘロヘロだ、、。たらーっ(汗)

おまけに、その夜、旦那の吐き気は止まらず、私の咳も止まらず、マイロ君は親が具合が悪いのが伝わって、不安になったのか、夜泣きで30分おきくらいに数回起きてしまい、、もうやだ〜(悲しい顔)もう一家全滅状態、、。
これでは、マイロ君の保育園の送迎はおろか、食事の支度まで危ぶまれたので、またしても私の実家にレスキューを求めるふらふら

今回は母がやってきた。特急つかっても片道2時間半もかかる房総半島の南端からわざわざきていただくのは、本当に申し訳ないが、このままでは一家存亡にかかわったので。

結局、旦那の胃腸炎は2日くらいで良くなったのだが、母が保育園の送迎と食事の支度をしてくれたので、本当に助かった、、、あせあせ(飛び散る汗)

どうも、保育園の他のお母さん達に聞いても、肺炎とまでは行かなくても、皆、具合が悪くなって結構大変だったらしい。
ウィルス性胃腸炎の感染とかは、保育園に入園すると本当に毎年恒例のイベントみたいなものだし、今年はいつもの年より寒いこともあって、皆なかなか風邪が治らないらしい。
うちの保育園はインフルエンザがまだ一人も出てないだけマシで、おとなりの小学生の姉妹のクラスはすでに学級閉鎖になったそうだ。
マイロと仲の良い日豪ハーフ、そらちゃんの家でもやっぱり胃腸炎になったと聞いた、、。

結局、私は次の週の月曜日にようやく会社復帰したのだが、、休みの間、たまりにたまった仕事に悪戦苦闘し、病み上がりなのに、またしても土曜出勤する羽目に、、。(自分の健康管理が悪いので、自業自得!?)

今年はまだまだ寒さが続くっていうし、これから花粉症の季節に突入して鼻がつまると、口呼吸で喉がやられ、また風邪を引きやすくなるので、油断は禁物だちっ(怒った顔)
本当に身体は資本だわ、、もう再来月には43だし、、ホント、、気をつけないと。あせあせ(飛び散る汗)

しかし、昨年と違って、今回のマイロ君の胃腸炎からの回復っぷりは素晴らしかったので、年々身体が強くなっていることは実感。
来年は胃腸炎なんかもらってこないことを、、マミー本当に心の底から祈ってるわ揺れるハート
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2011年12月29日

うちはインターナショナルスクールやブリティッシュ・スクールには行かせないなあ

結構、よく聞かれるのが将来的にマイロ君を「インターナショナルスクールに行かせるの?」とか「ブリティッシュ・スクールに行かせるの?」ということ。

結論から言うと、うちは行かせないなーーー。
日本にあるインターナショナルスクールやブリティッシュ・スクールの場合、結構学費がかかるので、“お金がない”って経済的な問題以外に、多分、日本語の習得(特に読み書き)の方が英語より難しいかも、、ということと、この先、我が家は日本に住み続ける予定なので、“国際社会に通用する”術も重要だが“日本社会でも生き抜ける”術を取得することも重要だと思うからだ。

もちろん、コミュニケーション・ツールとして母国語のほかに外国語を話せるに越したことはない。でも、今現在、日本を拠点としている以上、まずは母国語である日本語がしっかり話せて、聞けて、読み書きでき、さらに文化的背景を理解できるということがすごく重要だと思う。そして、ひとつのアイデンティティが確立できた上で、外国語や異文化を学ぶほうが、より理解が深まるのではないだろうかと思う。

あくまでも私の考えだけど、英語は高校、そして大学と留学させればネイティブレベルはともかくとして、ビジネスレベルではキャッチアップが可能じゃないだろうか?

例えばマイロ君の場合、“英国”と“日本”という二つの国籍を選ぶ権利があるので、将来的にどちらに拠点を置くかは彼の選択だ。

うちのパパは、マイロ君には徹底して英語でしゃべってるので、彼も幼いながら「ダディとマミーの母国がちがう」ということはなんとなく理解しているらしい。「ストロベリー、日本語は“いちご”」とか言っているので。だから英語のベースは必ずできるだろう。彼が“英国”を拠点とすることを選んだ場合でも、ベースができていれば応用が効くはずだ。また、応用が利くように教育するのも親に課せられた使命だと思う。

一方、彼が“日本を拠点”にすることを選んだ場合でも、普通に日本で日本の学校に行かせることですでにベースはできていると思う。日本の文化背景、傾向を知ることもこれまた日本社会で生きていくには必須だ。

なんでこんなことを言っているかというと、“英語がしゃべることが重要”と勘違いしてインターナショナル・スクールやブリティッシュ・スクールに入学させる親があまりにも多いからだ。

インターナショナル・スクールやブリティッシュ・スクールはあくまでも将来、海外で生活する、イギリスで生活するということを前提に教育しているからであって、語学習得を目的にしているわけではないと思う。

日本を拠点にしているのに、インターナショナル・スクールやブリティッシュ・スクールに行ってしまい、結果、日本社会にもなじめず、かと言って“日本で中途半端にインターナショナル・スクールやブリティッシュ・スクールに行ってしまったがために、英語も異文化に対する価値観でも中途半端で海外でも通用しない”って例を結構見ているからだ。

これって、すごく本末転倒だと思うんだけど、、。

posted by ゆっきょ at 02:17| Comment(4) | TrackBack(0) | 語学のはなし

2011年10月23日

マイロ君の運動会、放射能汚染が不安で体育館でやる羽目に、、

障害物競走のあとでダディのひざの上でやすむマイロ君
一昨日、やっと暇ができたので、フェイスブックに内輪だけの公開でマイロ君の保育園の運動会でお友達と撮った写真をあげていた。(右は、障害物競走のあとに、蝶々の羽をつけてダディの膝の上に座るマイロ君)

それでまた思い出してしまったのだが、、
10月8日の運動会は、あんなにいい天気だったのに、前日に急遽もともと校庭を借りる予定だった小学校の“体育館で行うことになった”と保育園から知らされた。すぐに頭をよぎったのは「多分、誰かが放射能が心配だとクレームしたんだな、、」

もちろん個人の価値観は違うし、「放射能が心配だ」と思う心情は否定しない。むしろ子供を持つ親だったら、少なからずは気に留めているだろう、、。

でもだよ、、あんなに人で寿司詰め状態の体育館で最年少は0歳の子供達が長時間待たされて、競技をやる必要があったんだろうか??と物凄い疑問になってしまった。

現に、マイロ君やマイロ君のお友達は外に出たくてうずうずしていた。
競技が終わったあと、結局そのまま校庭に出て、お昼近くまでずっと遊び続けていた。
まさに本末転倒、、これじゃあ、保育園がわざわざ体育館に場所を変更して、園児にも父兄にも窮屈な思いをさせた意味がない。
楽しそうに遊ぶマイロ君を見て、「最初から校庭でやれば良かったのに、、もし放射能が心配だったとしても、たかだか1日2時間くらい外にいたところで、身体に影響がでるとは思えないんだけど、、、」と思った。

まあ、他にも多くの人がそう思ったらしく、マイロ君のクラスメイトのお母さん達も「なんか、すんごい狭くて嫌でしたよね。どうせ、子供は外に出たがるんだから、最初っから外でやれば良かったのに〜」と口々に文句を言っていた。
そう言えば、確か、朝体育館に入場しようと外で並んでた人達も「放射能が不安で校庭で運動会やらないなんて、ちょっと過剰に気にしすぎよね〜。それじゃあ、この小学校に毎日通ってる小学生達はどうすればいいのよ。失礼な話だよね。」とか大声で言ってたのを思い出した。

噂では放射能が不安だとクレームをつけたのは、ほんの一部の人達らしいけど、、それでもあとで、「あの小学校って、ホットスポットかなにかなのかな??」と思い、杉並区のホームページで公開されている各区立小学校ごとの放射線量を調べてみたが、地表1cm、50cm、1mどれも軒並み“0.04マイクロシーベルト/h”。

うーーーん、わかんないなーーむしろ他の小学校や保育園の校庭より低いじゃないか、、。
明らかに気にしすぎではないんだろうか??そもそも、これで気にしてたら、そのクレームを言った父兄のお子さん達は外で遊ばせてもらえてないのかなーーー。だって、これ、一過性のものじゃなく、今後数十年続く問題なんだから。

保育園も今度は逆に「なんで校庭でやらなかったんだ!」と数倍のクレームが来たらしく、数日後に来年はどうすべきかという内容のアンケートが配られた。

我が家としては、来年はもちろん外で運動会をやってほしい。多数決にしてさああ、決まった結果にどうしても賛同できない人は“じゃあ不参加にします”ってことでも止むを得ないんじゃないかな???



校庭のアスレチックで遊ぶマイロ君と同級生「放射能が不安で体育館に運動会の場所が変更になった」のをよそに、楽しげに校庭で遊ぶマイロ君と同級生。ほら、本末転倒になっちゃったじゃん。(遊ばせてる親が悪いと私達は非難される??)

posted by ゆっきょ at 23:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 保育園関連のはなし

2011年09月16日

朝顔カーテン、ジャングル状態

朝顔カーテン朝顔は私の好きな花の一つで、夏に朝顔カーテンを作るのが、長年の夢だった。新しい家に引っ越して、庭もできたし、今年こそトライしてみようと、4月くらいに種を撒いて、苗を育て、少し大きくなってきたところで、よく育ちそうな苗を選んでリビングの前に網を張った。

実は、主に育てたのはイギリス人らしく、ガーデニングが大好きなうちの旦那だ。

6月くらいから花を咲かせ始めたが、日当たりが良すぎるのか、旦那の手入れが素晴らしいかったのか、9月になった今では二階のバルコニーにまでツルが届き、すっかりジャングル状態だ。
毎朝、20個くらいの花が咲いて、気分だけでもすごく涼しくなった気がする。(実際、部屋の中は結構涼しい)

なかなか風流だわ〜

青紫と白のストライプの朝顔これは一番早く花をつけた朝顔の種類


エンジと白のストライプの朝顔私が一番好きな色だ。写真だとちょっとピンクに見えるけど、薄いエンジっぽい色がかなり渋い。「団十郎」という日本朝顔らしい。


pink.jpg垣根を越えて、隣の家に侵入し、ブルーベリーに巻きついてしまった朝顔。


薄い青の朝顔これは比較的大輪の西洋朝顔。こんな感じで毎朝かなりの量の花が群れをなして咲いているが、9月になって、さすがにちょっと葉っぱがシャビーな感じになってきちゃった。


きゅうりこれは旦那の力作のきゅうり。台所の窓の柵の下に置いてある。午前中しか日が当たらない場所だけど、4本くらい収穫できたので、酢の物にして食べた。3月の原発事故の後から育てはじめて、もちろん放射能チェックなんかはしてないけど、たかだか4本程度だったので、夫婦二人でバクバク食べてしまった。
posted by ゆっきょ at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 国際結婚の日常

2011年08月30日

マイロ君のクラスで地震ごっごが大流行

震災以来、未だに続く余震でマイロ君のクラスではなんと“地震ごっこ”が大流行しているそう。たらーっ(汗)

マイロ君の通う保育園ではかなり頻繁に避難訓練をしているようだが、それプラス最近頻発する地震の際の対応で、子供達もすっかり“地震”と言われたら、条件反射で何かを頭に被るクセがついてるようだ。

実際、うちのダディも朝、マイロ君を送りに行って、三回ほど遭遇してるけど、例えば震度2か3くらいでも、保育園にある地震警報のアラームがなったら、すかず先生の指示で、教室の真ん中で全員うずくまって、ヘルメットや防災頭巾、、間に合わない場合は、ふとんやクッションをとりあえず被るそうだ。

一度なんか、ダディがうちに泊まっていたアメリカ人の友人(被災地にボランティアに行こうとわざわざ訪日していた)と一緒にマイロ君を保育園に送っていったとき、地震警報が鳴り、ダディにもその友人にもヘルメットが渡され、一緒に教室に入って避難したという。

そのアメリカ人の友人も、日本の保育園の地震の際の手際の良さに結構感心していた。ぴかぴか(新しい)

、、そんなわけで、皮肉にもマイロ君のクラスではこの“地震ごっこ”が大流行。4月や5月生まれの月齢の高い子が先頭に立って「地震です!地震です!」といい始めると、みんな思い思いにクッションやその辺にある頭に被れそうなものをつかんで、頭にのせて教室の真ん中に笑いながらうずくまるそうだ。あせあせ(飛び散る汗)

マイロ君のお気に入りは、ままごとセットの鍋だそうで、ちっちゃいから、頭が全部入らず「あれれ??」となっちゃってるが、とりあえず彼も仲間に入って楽しんでるらしい。るんるん

日本人らしいと言えば、物凄い日本人らしいし、すごく実践的と言えば実践的だが、ほとんど2歳から1歳半の子達が日常的にそんな遊びをしてるとは、なにやらシュールすぎて笑えない、、。がく〜(落胆した顔)

まあ、でも先日、米国東海岸でほぼ九十ウン年ぶりに起こったというマグニチュード5.8の地震にあわてふためく人々を見ていて、「う〜ん、日常茶飯事に地震の起こる日本では子供達は、遊びになるくらい訓練としてもいいかも知れない」とも思う。

地震って結局、どこに行っても“起こる確率”に違いがあるだけで、“絶対起こらない”とは言い切れないからなああーー。比較的、地盤が固くて地震が起こりにくいといわれてる北欧とか西ヨーロッパでも“絶対”地震がないわけじゃないらしいからなーーー。ふらふら

アジアとかヨーロッパなんかだと、結構古い地震被害情報の文書が残ってるらしいけど、アメリカとかオーストラリアとかだと、ヨーロッパ人が移住する前の地震の記録は地質調査とか原住民の口伝にたよるしかないんじゃなかろうか??
しかも、例えば、2000年に一度なんて巨大地震だったら、防災しようがないというか、、、。たらーっ(汗)

、、と色々くだらないことを考えてると、どうせ大地震に遭うなら、一応ある程度、建物の耐震性、防災対策が施されてる日本で遭遇したほうが“まだマシか??”と思ったりして、、。

、、まあ、そんなのに遭わないに越したことはないんだけどねーーー。あせあせ(飛び散る汗)
posted by ゆっきょ at 12:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 保育園関連のはなし